ノンアルコール飲料専門ECサイト / 飲まない人も飲む人もそれぞれに寛げる "Cafe MARUKU"

「ノンアル中毒」#1

"Non-Alcohol Dependence" #1 By Suzumo Sakurai 


夜な夜な飲酒するようになったのはいつからだろう?

学生時代は、まあ、当然だと思うが、限られた日にしか飲んでいなかった。各種飲み会、恋人や恋人未満の女子とのデートの夜や学友たちとの夜遊び、そして、家族や親戚が集まる正月や結婚式や法事など。もっとも、ぼくの学生時代というのはバブル期とほぼ重なっており、その「限られた日」が妙に——コロナ禍にあったこの2年弱を思うと、狂気の沙汰と言ってもいいくらいに——多かったのだけど。何かに託けたコンパと称する飲み会や何を祝うのかよくわからないパーティがしょっちゅう催されていたし、強い円を背景に世界各国から様々な醸造酒や蒸留酒が輸入されてきた時期でもあり、さらにはトム・クルーズ主演のカクテル映画がヒットした影響もあったかもしれない、シェーカーとバーテンダーと時に蘊蓄を要するカクテルを供するバーやカフェが総じて賑わっていた。

とはいえ、何事もない普段の夜に、ひとり近所の定食屋さんに入って「とりあえず、瓶ビールを」などと言っていた覚えはない。広義の社会人になってからも、少なくとも20代半ばまでは、帰宅するなり、他のすべての行動に先んじて冷蔵庫を開けて缶ビールのプルタブを引く、というような習慣はなかった。29歳の早春に、傷心やら反骨心やらを抱え、新たな希望を捏造し、人生は旅の連続さ、などとほざきながら京都に移り住むのだが、その頃には週5、6日はアルコールを飲むようになっていたかもしれない。おばんざい料理屋の店長を任されていた頃は仕事帰りに深夜営業のカフェに寄るのがささやかな楽しみだった——渋みの強い赤ワインを飲みながら、たしかブライアンという名のアメリカ人バーテンダー兼選曲係がセレクトするトリップホップやアシッドジャズにうっとりしたものだ。30歳の晩冬に、酒席で意気投合した女性と、酔った勢いと言ってもいいくらいの性急さで暮らし始めるのだが、彼女が晩ご飯時に米や小麦、いわゆる炭水化物をほとんど摂らず、惣菜やタパスを何皿か、主食はビールとワイン、つまり、晩酌スタイルの食生活を送っており、放っておくと休肝日がまったく訪れないことに(ぼくだって既に週5、6日は飲む人間だったにもかかわらず)いささか動揺し、週に1日だけ休肝日を作らないか、とおそるおそる提案した覚えがある。

その「週1休肝日」という取り決めがどのくらい続いただろう? たぶん3ヶ月も続かなかったんじゃないだろうか。特に話し合ったわけでもなく、しらふで過ごすぎこちなさから逃れるように、ずるずると、なし崩し的に、ぼくらは毎晩アルコールを摂取する暮らしを送るようになった。そしてまもなく、その上戸の、というと、なんだか聞こえはいいが、酒に目がない女性と結婚した。

だから20年を越えたことになるのか。そう、ぼくは21年と数カ月の間、ディオニュソスを崇めるがごとく、星の降る夜も雪の舞う夜も月の欠けた夜も熱帯夜も地震の夜も誰かの家でもホテルのバーでも旅先のスナックでも寝台列車の中でも深夜バスの中でも、酒を飲み続けた。その間、アルコールを摂取しなかったのは、インフルエンザで寝込んだ時と、二日酔いが酷すぎて心塞ぎ口もきけない夜……指折り数えたら、両手で足りそうなくらいの日数だ。

飲んでいる当時はそのようには認識していなかったが、早い話、ぼくはアルコールに依存していたのだ——ま、重度ではないにせよ。

なにしろ、酒なしでは陽が落ちてからの時間をどうやって過ごせばいいのか皆目わからなかった。晩ご飯を食すにも音楽を聴くにも本を読むにも家で映画を観るにも酒が必需だった。夜の思案も夜の冒険も夜の語らいも夜のまぐわいも酒がなくては先に進まなかった。そもそも、妻を含む他者と酒なしでどうやって接すればいいのだ?  明るい時間帯の打ち合わせでは仕方なくコーヒーを注文したが、そわそわして落ち着かず、頭の動きも我ながら苛立たしくなるくらいに鈍かった。高慢な笑みを浮かべながら背筋は汗で湿っていたことも一度や二度じゃない。

ところが、去年(*2020年)の真冬に飲むのをやめた。いったん体からアルコール分を抜こうという意識のもと、かりそめの断酒を始めたのだが、結局そのまま飲まなくなった。じつはここ数年、飲酒のデメリットを痛感するようになっていた——まあ、その話はいずれどこかで。たぶんここでそのうち。

今は毎晩ノンアルを飲んでいる。主にノンアルコールビール、時にノンアルコールスパークリングやノンアルコールワイン。ABV0.5%などのいわゆる微アルを好んで飲むが、いずれにしても酒税法上酒類に分類されない1%未満のものだ。飲みたいのを必死に我慢してるとかではない。もはやアルコールは欲しなくなった。しかしながらジンジャーエールとかウーロン茶とかでは非常に困る。ノンアルじゃないと大変に困る。ノンアルが置いてない飲食店には入れないし、たとえ置いてあっても国内大手メーカー製造のビールテイスト飲料しかないと、たちまち虫の居所が悪くなる。店主らしき人と目が合えば上品な皮肉の一つくらいは言いたくなる。

そう、認めよう、カミングアウトしよう。今やぼくはノンアル中毒なのだよ。

ノンアル中毒になったぼくは新しい日々を生きている。この新しい日々には、熱狂やバカ騒ぎ、おのが冴えない人生とこのできそこないの世界を丸ごと肯定したくなるような多幸感、甘やかなロマンチシズム、禁じられたエロチシズム……その手のものは見当たらない。しかしながら、平穏がある。朝の悔恨も午後の平謝りも宵の口まで続く憂鬱も割れたグラスも送信してしまったLINEメッセージもうろ覚えのレシートもない。ただ、平穏がある。素っ気ないけど、なにものにも代えがたい平穏が。

その平穏の中でぼくは1日のスタートを切る。あくびしながら近所の公園にたどり着くと——大きな白い犬と小さな黒い犬が戯れあっている。老夫婦が互いを労わるように手をつないで歩いている。カルガモたちが池の上をするすると滑っていく。子どもの弾む声に混じって鳥たちの囀りが頭上の樹々から降ってくる。おっと、コサギが飛んできた。空を仰げばミルク色の雲の向こうで太陽が柔らかな光を放っている。昨日は抜けるような青がどこまでも広がっていたっけ。ほんのりと冷たい風が頬と唇に心地いい。なにか新しいことを始めようと思う。今まではできなかったことを。自己嫌悪や吐き気から脱するのに精一杯で、あるいは機嫌取りのメールを書くのに必死で、それどころではなかった、少しでも有意義なことを。きみのためになることを。もしかしたら、この歪んだ世界をいくらかは整えることになるかもしれないことを。

桜井鈴茂

【続く】

(本稿は2022年1月発行のZine「0.9 / zero point nine」に掲載されたエッセイです。*このたびの再リリースにあたり、じゃっかん加筆しました。筆者)

 

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