ノンアルコール飲料専門ECサイト / 飲まない人も飲む人もそれぞれに寛げる "Cafe MARUKU"

Special Talk : feat. Akio Nakamata (3)

文芸評論家・仲俣暁生 ✖︎ 小説家・桜井鈴茂
「オルタナを生きるためのノンアル」
【第3回】

司会・構成:宮田文久

撮影:川畑里菜

 

ハードコア・パンクにだって、小説にだって、ノンアルコール・カルチャーは息づいている――刺激的なトークとなってきた、評論家・編集者の仲俣暁生と、「MARUKU」サイト主宰者・小説家の桜井鈴茂による対談。

第3回は、ノンアルコール的な小説が、ソーシャル(社会的)なものを描きうる可能性へと話が展開していく。そこから見えてくるのは、出口のないように見えるこの世界で「しらふで生きる方法」だ。


今、アルコール度数が低く、社会性のある「小説」が重要。(仲俣)

 

仲俣 桜井さんの『アレルヤ』が文庫化されたとき、僕が巻末解説に書いたことにも通じるんだけど、桜井さんはソーシャルを書こうとしている。いわば「ソーシャル小説」なんですよ。アルコール度数が高い「文学」に対する、ノンアルコールな「ソーシャル小説」なんだと思っていて。

桜井 ノンアルコールな「ソーシャル小説」ですか。

仲俣 新自由主義者だったマーガレット・サッチャーはかつて、「社会なんてものはない」といったわけだけれど、桜井さんは、まさに現場で人と接する存在であるコンビニ店員などの姿を通じて、ずっと「社会」を描こうとしてきた。そんな桜井さんもまた、自分でノンアルコールビールを飲むだけでなく、店に納品したり、個人のお客さんに販売したりしながら、場を維持しようとしているわけでしょう。まさにソーシャルなんですよね。

桜井 たしかに。

仲俣 ずっと社会は奪われ、しかも今はソーシャル・ディスタンスといわれる中で、さらに社会は希薄になった。でもまさにその最中で、新型コロナウイルスに感染して回復したボリス・ジョンソンが「社会というものがまさに存在する」と発言したように、新自由主義者でさえ、隔離されて初めて社会の存在を認めざるをえなくなったわけです。そんな時代に桜井さんが、ノンアルコールビールを飲みつづけ、場を築きながら、ソーシャルな小説を書いていくことは、実は重要なことなんじゃないかと思っているんですよ。酒も飲めば社会性もない「文学」ではない、アルコール度数が低く、社会性がある「小説」、ということです。

桜井 そうか……僕が今まで書いてきた「小説」と、新たに始めたビジネスは、そんなふうにつながるんですね。


2011年に発表した中篇小説のタイトルは、まさに「しらふで生きる方法」。無意識のうちに何かが進んでいたのかなあ。(桜井)


仲俣 たとえば2019年からウェブ連載している長編小説『探偵になんて向いてない』の主人公である探偵も、人と人の間をつなぐような、まさにソーシャルな存在じゃないですか。しかも、あの小説には、探偵の雇い主であるカゲヤマがノンアルコールカクテルを飲んでいる、という描写が出てくる。

桜井 そこは不思議なんですよねえ。あの場面を書いたのは、酒をやめようなんて、まったく思ってない時期だったから。どうして、ノンアルコールカクテルなんかを飲んでいるシーンを書いたんだろう……自分でも全然わからない。あとね、2011年に「すばる」に発表した中篇小説のタイトルが、まさに「しらふで生きる方法」(*『へんてこなこの場所から』収録)なんですよね(笑)。無意識のうちに何かが進んでいたのかなあ。

 仲俣 「しらふで生きる方法」は、アルコール依存症の人々が集う自助グループ、AA(アルコホーリクス・アノニマス)の話じゃないですか。それで思い出すのは、依存症やディプレッション(憂鬱)といったテーマで結びつく、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』(邦訳は2018年刊行)という本なんですよ。マーク・フィッシャーと桜井さんは、まったく同じ1968年生まれなんですよ。


マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』は、ぜひ読んでみて。(仲俣)


桜井 え、ごめんなさい、知らない人だ……。

仲俣 ぜひ読んでみてください。マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』は、桜井さんのための本ですよ。

桜井 マジですか! どんな本なんですか。

仲俣 彼が書いていることを一言でいえば、「私たちは資本主義の中で生きる以外の道がないと思い込まされている」ということなんです。異なる道がない、というリアリズムの中で生きている状態のことを、彼は「資本主義リアリズム」と呼んでいるわけ。先ほどの話でいえば、社会のない、新自由主義以降の現代のあり方ですね。きっと桜井さんは、この資本主義リアリズムに抵抗する「小説」をずっと書いてきた。マーク・フィッシャーは鬱で死んでしまったんだけれど、現代において書かれている「小説」を見渡すと、ソーシャルな「小説」を書こうとしている人はたしかにいるんですよ。その流れの中に、桜井さんもいると思う。

桜井 そうか、だから「しらふで生きる方法」なのかな。


単に「酒をやめたんだ」と人に言われると、どこか違和感があったんだけど、やっとその理由がわかった!(桜井)


仲俣 そうそう。でもね、最近は某ブランドがファッショナブルなノンアルコールビールを出していたりして、いわゆるトレンドにも回収されつつある。下手すると、資本主義リアリズムがノンアルコールビールに追い付いてきて、「昼間からビール飲んで働こうぜ」みたいな話になる危険性もあるわけです。まだ、みんなそこまで気づいてはいなくて、桜井さんは直感で気づいている(笑)。だから何といえばいいのかな……桜井さんは酒をやめたんじゃなくて、ノンアルコールビールを飲むという「別の道」を進み始めたんですよ。

桜井 ああ……! 単に「酒をやめたんだ」と人に言われると、どこか違和感があったんですけど、やっとその理由がわかった!(笑) 酒を飲むか、さもなければジュースを飲むかという話じゃなくて、これはオルタナティヴをめぐる話なんだ。だからこそ、ぼくも惹かれているんですね。

仲俣暁生氏
仲俣暁生(なかまたあきお)
評論家・編集者。1964年、東京生まれ。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論―Westway to the world』、『〈ことば〉の仕事』、『再起動せよと雑誌はいう』、『失われた娯楽を求めて―極西マンガ論』、『失われた「文学」を求めて|文芸時評編|』、共編著『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』『編集進化論―editするのは誰か?』など。下北沢に20年以上在住。
桜井鈴茂(さくらいすずも)
1968年4月23日、札幌市の天使病院にて出生。石狩郡当別町で育つ。明治学院大学社会学部卒業。同志社大学大学院商学研究科中退。バイク便ライダー、カフェ店員、郵便配達員、スナックのボーイ、小料理屋店長、水道検針員など、さまざまな職を経たのちに、『アレルヤ』(朝日新聞社/2002年、双葉文庫/2010年)で第13回朝日新人文学賞を受賞。著書に『終わりまであとどれくらいだろう』(双葉社/2005年)、『女たち』(フォイル/2009年)、『冬の旅』(河出書房新社/2011 年)、『どうしてこんなところに』(双葉社/2014年)、『へんてこなこの場所から』(文遊社/2015年)、『できそこないの世界でおれたちは』(双葉社/2018年)。現在は、双葉社の文芸webマガジン「COLORFUL」http://www.f-bungei.jp にて『探偵になんて向いてない』を連載中。 ハーフマラソンとDJと旅と猫とノンアルコールビールを愛好。
公式サイト http://www.sakuraisuzumo.com/
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