ノンアルコール飲料専門ECサイト / 飲まない人も飲む人もそれぞれに寛げる "Cafe MARUKU"

Special Talk : feat. Akio Nakamata (2)

文芸評論家・仲俣暁生 ✖︎ 小説家・桜井鈴茂
「オルタナを生きるためのノンアル」
【第2回】

司会・構成:宮田文久

撮影:川畑里菜

 

評論家・編集者の仲俣暁生と、「MARUKU」サイト主宰者・小説家の桜井鈴茂による対談は、桜井が突然ノンアルに“覚醒”したエピソードを踏まえ、ノンアルから世界が見えてくる第2回へと突入。

  若者の間で世界的な潮流となっている、ノンアルコール・カルチャー。それはいまやひとつの文化圏を築きつつある、というトピックから、話はやがて「ノンアルと小説の関係」という意外な方向へ……!?

巷の断酒した人たちとぼくが、多分だけど、ちょっと違うのは、たしかにノンアルな生活ではあるけれど、晩ご飯の献立は相変わらず晩酌系だし、飲み屋さんにも普通に行く、ってことかな。(桜井)

 

仲俣 今年の1月末にノンアル生活を初めて、10日目に美味しいノンアルコールビールに出会った、と。

桜井 そうです。巷の断酒した人たちとぼくが、多分だけど、ちょっと違うのは、たしかにノンアル生活ではあるけれど、晩ご飯の献立は相変わらず晩酌系だし、飲み屋さんにも普通に行く、ってことかな(笑)。

仲俣 ライフスタイルの良いところは、変わらなかったわけだ。でも、そこから「自分でノンアルコールビールを取り扱う」までには、もうワンステップありますよね? 消費者として飲むだけでなく、ビジネスにしようとしているわけですから。

 桜井 そこは関しては、ふたつ理由があるんです。ひとつは、美味しいノンアルコールビールがこの世に存在してることはわかったんだけど、外に飲みに行っても、そのノンアルコールビールは置いてないんですよ。置いてあるのは、残念ながら、ぼくの口に合わないものばかりで。だからまず考えたのは、自分の行きつけの飲み屋さんに、ぼくが飲みたいノンアルコールビールを置いてもらおう、ということなんです。しかも、置いてよって頼むだけだと、さらっと流されちゃうかもしれないから、もう自分で卸もやっちゃおうと思いました(笑)。配達もするよ、って言ったら、さすがに断りにくいでしょ?

仲俣 まずは自分が外で飲みたい、と(笑)。

 

仲俣暁生

ポップカルチャーの中に酒がビルトインされていた時代を僕らは若者として過ごしてきた。(仲俣)

 

桜井 そうそう。お酒を飲まなくなったとはいえ、飲み屋さんには行く気満々ですからね(笑)。それがまず一つ。もうひとつの理由は、ちょうどその頃、妻が勤めていた会社を辞めたいって言い出して。辞めるだけじゃなくて、もう就職なんかしたくない、うんざりだって。まあ、それはいいんだけど……困ったなあ、どうしよう生活は、となって(笑)。このふたつが、ほとんど同時に訪れたんですよ。

仲俣 そういうことだったんですね。いや、先日、桜井さんの話を聞いてから、つらつらといろんなことを考えていたんですよ。桜井さんはバンドもやってきたわけだけど、僕たちは音楽でも小説でも、ポップカルチャーの中に酒が、あるいはタバコとかも、ビルトインされているような時代を若者として過ごしてきたわけじゃない? 少なくともそんなにネガティブなイメージは持っていなかったはずで。

 桜井 ですよね。だけど、一方で、ハードコア・パンクの世界には「ストレート・エッジ」という思想を持っている人たちがいて。マイナースレット〜フガジのイアン・マッケイがその中心だけど……要は、酒、タバコ、ドラッグ、快楽だけのセックス、という、つまるところ、クソな大人たちがやってるものは全部やらない、という思想があって。

仲俣 アンチヒッピー的な思想ですよね。

 

桜井鈴茂

要するに、飲むこと、飲んだくれることってのはコンサバティヴな、旧来の野暮ったい文化に属している振る舞いかもしれず、飲まないほうがよっぽどイカしてる、トンがってるんだって。(桜井)

 

桜井 それが頭の隅っこにずっとあったんですよね。要するに、飲むこと、飲んだくれることってのはコンサバティヴな、旧来の野暮ったい文化に属している振る舞いかもしれず、飲まないほうがよっぽどイカしてる、トンがってるんだ、って。加えて、2014年にシアトルに行ったときの経験も大きかった。現地に住んでいるアメリカ人の友人と街をブラブラしてて、お茶をしようってことになって適当に目についたカフェに入った。で、席につくなりパッと店内を見渡した彼が「あ、ここ、ヴィーガンのカフェだ」って言ったんです。日本で「ヴィーガン」というと、なんだか存在感が希薄でもの静かでオーガニックなイメージがあるけれど、そこの店員たちは耳たぶに隙間なくピアスをしてて、髪の毛は紫とか緑で、要するに、すっごくパンク、というか、とんがってた。友人はそんな店員たちを見て「ヴィーガンのカフェだ」と見分けたわけです。それがけっこう衝撃だった。

仲俣 面白いですね。そんなヒントが頭の中にたくさんあって、それがノンアルコールビールのビジネスにつながっていったわけだ。

桜井 あと、英語で「Non Alcoholic Beer」とかを検索窓に入れてググると、日本に輸入されていないノンアルコールビールがけっこうヒットするんですよね。ノンアルなんて、ヤワな日本人が飲むものだ、とか勝手に思い込んでたところがあったけど(笑)、実情はまったく逆で。さらに、最近はアルコールをあえて飲まない「ソーバーキュリアス」というライフスタイルが欧米を中心に広まっているみたいだし。僕が見かけた記事では、イギリスのBBCが調査したら、アルコールを飲まない若者は2005年時点で18%だったのが、2015年には30%まで増えてきていると書いてあった。ロンドンでは、ノンアルコールビールを生で飲める専門のバーがオープンした、というニュースも見ました。

 仲俣 そうしたことを踏まえると、なぜ僕たちはこんなにアルコールを飲んできたのか、と考え込むよね。考えながらも僕は、ノンアルビールだけではなく普通に酒も飲み続けているんだけどさ(笑)。いや、僕が最近ずっと考えていたのは、桜井さんとノンアルコールビールのかかわり方は、桜井さんがこれまで書いてきた小説作品と、実は無縁ではないんじゃないか、ということなんですよ。たとえば太宰治でも何でもいいんだけど、旧来の純文学の伝統に連なっている系列の中には、破滅的な生き方を描く作品があって、酒もその中に含まれるわけですよね。つまり「酒と文学」は密接に結びついていて、アルコール度数はそのまま文学度数でもあるんですよ。

アルコール度数=文学度数が低くても「小説」は成り立つ。(仲俣)

 

桜井 なるほど、「文学」はアルコール的だと。

仲俣 でも、アルコール度数=文学度数が極端に低かったり、あるいはゼロだったりしても、「小説」は成り立つんです。そして桜井さんが描いてきたのは、伝統的な「文学」然としているのではなくて、もっと現代的な、いわばノンアルコールの「小説」なんですよね。「文学」ではない「小説」を書き続けてきたわけだから、ノンアルコールビールを飲むようになったとしても、転向はしてないわけです。ロックの系統がちょっと変わったというか、パンクからグランジにいったぐらい(笑)。

桜井 ハハハハハ、たしかに!(笑) 転向はしてないなあ。

仲俣 「あれ、エフェクター変えた?」ぐらいの感じ(笑)。だから、桜井さんが始めたことは、すごく自然な話なんですよ。

 

プロフィール

仲俣暁生氏
仲俣暁生(なかまたあきお)
評論家・編集者。1964年、東京生まれ。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論―Westway to the world』、『〈ことば〉の仕事』、『再起動せよと雑誌はいう』、『失われた娯楽を求めて―極西マンガ論』、『失われた「文学」を求めて|文芸時評編|』、共編著『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』『編集進化論―editするのは誰か?』など。下北沢に20年以上在住。

桜井鈴茂プロフィール

桜井鈴茂(さくらいすずも)
1968年4月23日、札幌市の天使病院にて出生。石狩郡当別町で育つ。明治学院大学社会学部卒業。同志社大学大学院商学研究科中退。バイク便ライダー、カフェ店員、郵便配達員、スナックのボーイ、小料理屋店長、水道検針員など、さまざまな職を経たのちに、『アレルヤ』(朝日新聞社/2002年、双葉文庫/2010年)で第13回朝日新人文学賞を受賞。著書に『終わりまであとどれくらいだろう』(双葉社/2005年)、『女たち』(フォイル/2009年)、『冬の旅』(河出書房新社/2011 年)、『どうしてこんなところに』(双葉社/2014年)、『へんてこなこの場所から』(文遊社/2015年)、『できそこないの世界でおれたちは』(双葉社/2018年)。現在は、双葉社の文芸webマガジン「COLORFUL」http://www.f-bungei.jp にて『探偵になんて向いてない』を連載中。 ハーフマラソンとDJと旅と猫とノンアルコールビールを愛好。
公式サイト http://www.sakuraisuzumo.com/
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